ゆなねこ 1日1日を一歩ずつ生きていく #虐待サバイバー #全盲

しばらく離れていましたが、もう一度再開することにしました  28歳女性で、私は全盲+虐待サバイバーです👩‍🦯  2020年6月(私は母親の虐待で全盲になりました)をKindleにて出版いたしました。  Twitter (yuna89598142)でも毎日何かしらつぶやいています☺️ 視覚障害、精神障害(うつ病もあり)を抱えながらもなんとか毎日生きています。  日常の中で感じたこと、障害者として皆さんに知って欲しいことなどを不定期に綴って行きます🙇‍♀️  令和3年11月19日入籍予定💍💓  雌猫ちょこ

性的虐待被害の告白は価値が高い

私は先日、虐待防止イベントに初めて虐待サバイバーとして参加してきました。

私を含め、当事者4名が(親への手紙)という題材で虐待被害の告白、その時の思いなどを語られたのですが、性的虐待の内容が鮮明に語られました。

私自身もそうですが、性的虐待被害の告白は非常に勇気がいります。


私が虐待親から警察に保護されたのは今から2011年3月です。

この10年の間に自分が受けた虐待の事実をもとに書籍を出したり、人に話したりしてきました。

けれど性的虐待被害の詳細を語れるようになったのはここ最近になってからです。

なぜ長い期間話せなかったのか・・・

一番は恥ずかしかった、自分が実の親からそんなことをされたという事実を受け止められなかったというのが本音です。

しかしこれだけが理由ではなく、他人に少し話したこともありましたが、「そんなこと親がするなんて嘘でしょ。」「信じられない・・・ その先は聞きたくない・・・」

そう言われることも多かったため、自分の中に溜め込むしかありませんでした。


話が前後してしまいますが、警察に保護された時、私は高校2年生でした。

警察署の一室で男性刑事さん2人に虐待の詳細をほんとに細かく質問されました。

しかし17歳といえば思春期で、私は男性と関わることもそれまで少なく、ひどい虐待を長期に渡り受けていたことから他人に対しての警戒心や恐怖心を非常に抱えていました。


私の母親はおそらく計算高い人で、表面的に気づかれるような傷やあざはつけず、見えない部分(口内や性器)を痛めつけ、自分の尿を飲ませたり、性器を舐めさせる人でした。

今思い出しても苦しさと嫌悪が込み上げてきます。

でもこんなことをその日初めて会った刑事さんに語ることなんてとてもじゃなくできませんでした。

学校の教師にも児童相談所の職員や里親さんにも同様でした。


骨折させられたり、殴られて全盲にさせられたりと数々の虐待行為を受けましたが、今でも1番の傷になっているのは性的虐待と言ってもいいかもしれません。

屈辱的かつものすごい恐怖だった性的虐待を告白しようと思ったのには、一つには真実を残したかった事、そしてもう一つには私と同じように今でも告白できず、自分の中に仕舞い込んだまま苦しんでいる方がいるかもしれないと思ったからです。


虐待だけに限らず、性被害は2時被害に合いやすい内容でもあります。

「気持ちよかったんじゃないの? セックス好きなんでしょ?」などと想像力のかけらもないような言葉を浴びせかけられる事もあります。


性被害の告白は非常にハードルが高く、ものすごくエネルギーもいる事なんです。


だからこそそういう告白はとても貴重であり、今後の虐待防止や法律を変えていくための財産だと感じます。

決して面白がって聞いたり、拒絶しないでいただきたいです。


表現力が乏しく、拙い文章ではあるかと思いますが、読んでいただけますと幸いです。

    ゆなねこ



#虐待サバイバー#性的虐待#性被害#毒親育ち

親とは何なのか・・・

記事を書きたいなと思いつつも最近はずっとバタバタしておりようやく久しぶりの投稿です💦


令和3年11月19日入籍しました💍

まさかの付き合って3ヶ月半でのスピード婚となりましたが、6月末に知り合い3度のデートの中で恋人というよりは、2人とも家族になりたいと思うことが増え、お互い実家族とは絶縁状態にあったことから、自然な成り行きで夫婦になりました♡


私は幼少期両親からひどい虐待を受け、母親の暴力により最終的に全盲になりました。

高2の終わりに警察と児相に保護され、里親宅でお世話になり、20歳で自立し、ここまで何とか生きてきました。


虐待被害は親から逃げれば終了とf:id:yunachoko:20211121150648j:plain思う人たちが多いです。

でも実際は逃げ出してから初めて自分の体や心の傷を実感し、また周囲とのギャップ、人間関係の構築の難しさに苦しみます。


私は視覚障害を抱えていたということもあり人と全く関わらないというわけには行きませんでした。

自分の感情を押し殺し、いつでも作り笑顔を貼り付け明るい私を演じ続けてきました。

親元にいた時も自分の意思は全く尊重されませんでしたし、いつでも親、周囲の大人の顔色を窺いながら生活していたので、(自分って何者なんだろう・・・)と悩み、とにかく周囲の人に気に入られるように、嫌われないように、それだけを基本に10年間生きました。

でもそんなことを続けているうちに自分の気持ちはどんどんわからなくなり、心身ともに体調を崩して行きました。


そして自分を痛めつけるようにリストカットオーバードーズ、不特定多数の男性とのセックスを繰り返しました。


今は私は誰かに本当の意味で愛されたかったんだ、自分の存在意義をみつけたかったんだとわかります。


話は変わりますが、夫は障害を抱えた両親の元に3人兄弟の長男として生活していましたが、彼が小学4年生の時に両親が離婚し、母親に引き取られました。

その後母親の再婚によって環境が変わり、同居していた祖母の死を引き金にうつ病を患い、高校を中退しました。

彼がうつ病を患っている間に母親は再度離婚し、母親も仕事をしなくなり、一時は生活保護を受給して生活していたそうです。

その後彼はうつ病と向き合い、アルバイト期間を経て正社員として働き始めましたが、母親はギャンブルに生活費を注ぎ込んでいくようになり、彼が家計を管理するような状況になって行きました、それでも月の生活費や納めるべきお金をギャンブルで無くしてくる母親の代わりに彼は消費者金融で借金をし肩代わりをしていたそうです、ちなみに母親は自己破産をしていてローンが組めない人だったそうです。

何とかそこから這い上がり親とは絶縁しましたが、親のせいで作らされた借金を今も払い続けています。

リスカオーバードーズうつ病の経験もあったことから、現在私が抱えている精神障害複雑性PTSDにも理解があり、お互い実家族にとても苦しんだため分かり合える気持ちも多く、私は初めて自然体な自分でいられることが増えました。

お互い重度な愛着障害を抱え続け、安心できる居場所もなかったため精神的にぐらぐらな日々でしたが、これからは互いが安全基地になっていけると思っています。


私の親、夫のおや、その他にも何人もの親の悩みを私自身聞いてきましたが、「一体親って何なのだろう、そんなに親は偉いのか、何をしても許されてしまうのか・・・」

そんなやるせない思いを日々抱いています。


子供は親の所有物ではありません。


直接的な暴力がなかったとしても、子供を支配してはならないのです。


自分が置いていく中で子供に大切にされたいと思うのなら、まずは子供を大事にしましょう。

それが子供をこの世に誕生させた親の責任であり義務です。

子供は親を選べません。

それを今親である方、これから親になる方には心に留めておいて欲しいです。


長文になってしまいましたが、ぜひちらっと読んでもらえると幸いです。

     ゆなねこ

虐待は一生のトラウマ

 こんにちは ユナネコ です

 

私は幼少期ずっと両親から虐待を受けて育ち、17歳の時に警察に保護されました

 

 元々眼の病気は抱えており弱視でしたが、病気と母親からの暴力がきっかけで中学3年生で全盲になりました

 

 この記事を書くのは別に同情が欲しいとか理解して欲しいという思いではありません。

 ただこの記事を読んで虐待そのものからは救われても傷を背負い続けている「虐待サバイバー」がいるということを知ってもらえるとありがたいなと思います

 

 

    (意思表示の難しさ)

 親元から逃げ丸9年が経ちました

 

 

 自己嫌悪、自暴自棄、人間不信

 

これまでにも苦しい時期はたくさんありましたが、そんな中でも私を助けようとしてくれた人、支えてくれた人、本気で心配してくれた人がいたということはすごく実感しています

 

 ただ当然ながら普通に経験するようなことではなく、なかなか思いを共有できる人は少ないです

 

  今でもしんどいと思うのは自分の意思の伝え方がうまくできないということです

 

 表面的には割と明るくて、前向きで、コミュ力高めと思われることが多いです

 

しかし意見を急に問われたり、特に子供時代の話や家族の話になると感情表現はすごく難しいなと感じています

 

 幼少期に親から意見を尊重してもらえなかったり、威圧的に上から押さえつけられてきた人たちは大人になってからも自然と人の顔色を伺い、空気を読んでしまう傾向が強いと感じます

 

また私も自分の心を守るために親元にいた時は無感情になることを意識していました

 

なので、うれしいとか悲しいとか辛いとかなんとなく自分ではわかっていてもそれを相手にどう伝えて良いのか分からないことが多いです

 

 「大人なんだからしっかり話しなさい」

「普通にストレートに言えばいいじゃん」

こう言われることは度々あります

 

 

 でももしかしたら私たち虐待サバイバーは誰よりも一人になることを怖がっているのかもしれません

 

 どんな回答をすれば相手は怒らないかな

これを言ったら嫌われるんじゃないか、離れていってしまうんじゃないか…

そんな不安と恐怖心をいつでも抱えているのかもしれないと私自身感じることがあります

 

 

この数年で「虐待」のニュースは当たり前のように報道されるようになりましたが、それはお子さんがなくなってしまったとか、親が暴力を振るったとか、いわゆる「リアルタイム」な話がほとんどです

もちろんそれはそれだけ「虐待」というものが身近なな話で危険性もあると認識する人間が増えたからだと思うので良いこととは思っています

 

 しかしたまたま死なずに生き延びれただけで今もなおトラウマやフラッシュバック、周囲とのギャップに苦しみながら孤独に耐えてる虐待被害者もいるんです

 

「助けてもらってよかったね」

「時間が解決してくれるから大丈夫よ」

 

このようなセリフを言われたことも多かったです

 

 確かに救われたことは良かったけれど、実際はそこからの方が苦悩の連続であり様々な事と葛藤しながら生きなければなりません

 

  予定通りに行けば来月私は2018年に出版した自叙伝を元に加湿修正版を電子書籍として出版します

 

 自分が経験したことをかなりリアルに書いているため内容は重い部分もあると思いますが、そこからどう乗り越え、人と関わってきたか

またどんな夢や願いがあるのかなども書いています

 

 どんなことでも当事者にしか語れないことがあると思ってます

 

 この記事も含め、(虐待)(視覚障害)について記事を書いたり、ツイッターで発信したりもしていますので、少しでも多くの方に知っていただき、それによって今後の社会を変えていけたらいいなと考えています

 

 長くなりましたが、まだまだコロナで落ち着かない毎日ですが、皆さん無理しすぎず頑張っていきましょう😸

 

@yuna89598142のアカウントでツイッターをやっていますので、こちらもみていただけると嬉しいです🥰

コロナと視覚障害者の共存💧

こんにちは ユナネコ デス

 

 

多くの県では緊急事態宣言が解除されすっかり自粛モードは崩れてしまっていますね💧

 

私の県はまだ解除されていないのですが、ここ数日で一気に人が増えたなと感じます💧

 

 まあ私も閉じこもり生活にはそろそろ限界を感じているので気持ちは分からなくもないんですけどね…

 

今日はそんな世界中の有名人になっている「コロナさん」に絡めた記事お書きます

 

 

 実はこの型のおかげで視覚障害者はかなり生活しにくい状況に置かれています。

 

 

     (困っていること)

:外出をしたくてもガイドヘルパーを頼みにくい

:外で道に迷っても人が少なすぎて声をかける相手がいない、またいても接触してしまうので誘導を頼めない

 :視覚障害者の代表的な仕事はマッサージ、鍼灸だけど、接触ができないので仕事がない

※今は視覚障害者でもこれ以外の仕事も徐々に増えてきています

:スーパーやコンビニのレジにビニール壁の敷居ができているがきずかなかったり、気づいても状況が把握しにくい

 :駅の窓口がしまっていて、インターフォンが壁に取り付けられているが知らないとどうして良いか分からない

:手すりに触れるのは感染リスクが高いと言われつつも全盲だと電車内の様子がわからないので手すりに触らざるを得ない…

 

 ザッと書きましたがそれでもこれだけのことに今困っている視覚障害者は多いことでしょう

 

 誰がいけないわけでもなく、みなさん違った意味でそれぞれ今は苦しい思いをされていると思います

 

 

すぐには解決できない現状もあります

 

 無理に誘導して欲しいとは言えませんし、サポートが必要だからこそ私たち視覚障害者は手洗い、マスクの着用を徹底しなければいけないとも思っています

 

 もし今の状況の中で白杖を所持した人と遭遇し困っているようでしたら、とにかく言葉だけでもいただけると助かります

 

 目の前の状況を説明してもらえたり、左右どちらに曲がるとかそういった言葉だけでもだいぶ情報にはなりますのでご協力よろしくお願いします😸

障害を乗り越える?

 こんにちはユナネコ です

コロナの感染が拡大し自粛ムードが続いてますね

 

普段は通勤が面倒だと感じるのに、いざ外出が自粛されるとストレスが溜まる…

 

 人間ってわがままなのかもしれませんね💧

 

 できる限りメリハリをつけるように、家の中でできる楽しみを見つけていきたいものですね✨

 

 

 

 前置きが長くなりましたが、私は全盲で現在全く視力がありません。

 

 中学3年の9月に弱視から全盲になりました。

 

それから11年が経過したわけですが、これまで多くの方から

「どうやって立ち直れたんですか?どうしてそんなに明るくなれたんですか?」

と質問される事がありました。

 

 最近になりそのことについて私自身考える事があるのですが、正直なところ「わからない」というのが答えかもしれません。

 

 中3で見えなくなりましたが、家族も周囲の人も障害を理解しようとしてくれた人はその当時あまりいなかったように記憶しています。

 

 私の家庭は荒れ放題で、私に対する虐待も当時かなりエスカレートしていたんです。

 

 そんな経緯から高2で児童相談所に保護され、学校の寮、リハビリ施設のショートステイ、里親宅にお世話になったりと、いくつも生活場所をてんてんとしていました。

 

 家族はいないけれど、早く経済的に自立しないと生活ができなくなってしまう…

 

 「見えない」ということよりも「生きなきゃいけない」という方が先立っており、周囲からは「頑張れ」「強くならなきゃね」

そんな言葉が多かったですね。

 

 目が見えないことに構ってる余裕がなかった。

 

 だからこそ経済的にも精神的にも早い段階から自立ができ、今ではそこまで困ることはないわけですが…😅

 

 ここ1年くらいで気持ちに余裕が出てきたのでしょうが、様々な方の相談に乗っている中で、今更になって目が見えないというのはかなり大変なことなのかもしれないと感じるようになってきました(苦笑)

 

「目が見えない生活にも11年も経つとなれてくるものですか?」

と聞かれる事があります。

 

 はっきり言って完全に慣れるなんて事絶対ないと思います。

 

 それでも生きてかなきゃいけないから無理やり前を向いて、他の感覚でできる事を習得して、社会に受け入れてもらおうと努力して…

 

 その繰り返しなのかなと思ってます。

 

 すごく悲観的になることも減りましたが、私だけじゃなく、途中で障害を抱え、乗り越えてきた方々もいらっしゃるでしょう。

 

 皆さんすぐに受け入れられたわけではなく、様々な壁にぶつかり、それでもなんとか前に進んでいるのではないかなと思います。

 

 どう乗り越えたのか?

それは人それぞれですし、私も聞いてみたいです。

 

 

 何だかまとまりのない文章になってしまいましたが、もっと生きやすい世の中になっていく事を願いながら行動していきたいと思ってます☺️

街中で視覚障害者と遭遇したら?

こんにちは、ユナネコです

 

 私はいわゆる全盲で人のシルエットも光も全く見えません

 

 みなさんは実際に視覚障害者と関わったことはありますか?

 

 当然ながら、世の中は目の見える方が圧倒的に多いため、大半の方は実際に触れ合う機会はないのではないでしょうか☺️

 

 今日は当事者の立場として、もし街中で視覚障害者を目撃した際、どう接してもらえるとありがたいかについて書かせていただきます🥺💕

 

 

 そもそも白杖を持ってる方を見かけたとしても声をかける事を躊躇される方は多いかと思います。

 私も逆の立場なら同様の気持ちを抱くかなと思います。

 ですが実際わたし達は声をかけていただけると嬉しいですし、助かる事もたくさんあるのです。

 

 ただ視覚情報がある者とない者では情報量も感覚も全く違います。

タイミングによってはお互いの間ですれ違いが起こってしまう事もあります。

 

 この記事ではそんなすれ違いを減らすために、いくつかお願い事を書かせていただきます✨

 

 

 1、 先に声をかける

 わたし達は音で人の気配を察知していますが、やはり目から入ってくる情報がないの絵、いきなり手を引っ張られたり、カバンを掴まれたりするとすごくびっくりします。

まずは「お手伝いしましょうか?」 「大丈夫ですか?」と先に声をかけてもらえると驚かずにすみます。

 まあ自分に声をかけられてるのか分からず、スルーしてしまう事もあるかもしれないのでその際は軽くっ肩を叩いてもらえるとわかりやすいです☺️

 

 本気で困っている時もあれば、自分一人で解決したい時もあるので、もしこちらがお断りしても「まずかったかな…」なと気になさらないでください。

 

 2、 誘導をお願いした際は肘を掴ませて

 もしこちらが迷っていて誘導をお願いした際は、肘か肩を掴ませてください。

左右どちらというのは決まっておらず、それは人によって異なると思います。

 この方法は視覚障害者を手引きする際の基本的なやり方になります。

 目が見えないということは足元や、進路がわからないので、視覚障害者よりも少し前に立っていただけるとありがたいです。

 後ろから支えられると以外と怖い者なんですよね😅

 

 単独で外を歩いてる視覚障害者であれば、ある程度外での移動も慣れていますので、けっこう歩きも早かったり、階段やエスカレーターも普通に乗れる方も多いと思います❣️

 

 3、 白杖は掴まないで!

 例えば階段の降り口出会ったり、電車のステップで視覚障害者を解除する際、白杖自体を掴まれる方がいます。

前述にも書いたように、足元が見えないため、白杖はあくまで目の代わりになります。

白杖自体を掴まれてしまうと、みなさんが目隠しをされたのと同じ状態になるためすごく怖いです💧

 とっさに白杖をつかんでしまうお気持ちはわからなくはないのですが、ご理解いただけると嬉しいです😂

 

 

 大きくはこの3ポイントをしっておいていただけると、お互いのすれ違いは減るのではないかと思います。

 

 

 声をかけることに勇気がいるというご意見を聞く事もありますが、みなさんが普通に接してくださる事で、私たちは行動範囲も広がりますし、見えてる方達の世界を知る事もできるんです✨

 

 

 拙い文章ではありますが、ご理解、ご協力よろしくお願いします😸

見えない相手と話す事

こんにちは、ユナネコです

毎日コロナの話題ばかりで先の見通しがつかず、気が滅入りそうですね💧

 

 タイトルだけをみたら疑問に思われた方もいるかもしれませんが、けっして幽霊と話すという意味ではありません「笑み」

 

 人と話す時、目の見える方は相手の表情から実はいろんな事を読み取っていると思うんです。

 

 しかし私は全く目が見えません。

目の見える方と話す時私は結構緊張します。

 

 相手は私の表情や仕草が見えるけれど、こちらは視覚から入ってくる情報がありませんから😅

 

 表情や仕草が見れないという事は、声色や喋り方、その人が出している空気を感じながら会話を進めていかなければなりません。

 

 これってけっこう怖いなと私は思うんですよね…

 

 

 一対一ならまだいいんです。

 

 でも複数で会話をする時って、色々な方向から声が飛んできます。

複数の人と話す時、やはり目の見える方は、視力で誰が喋っているのかを判断する事が多いのではないかと思います。

 

 

 私は以前少しだけホステスの仕事をしていました。

当然ながら同じような状況がよくあるんです。

 しかもみなさんお酒が入っているので声が大きい💧「苦笑」

 ほんとに聞き分けるのが大変でした。

特に男性の声って、よほど特徴的な声でなければ以外と同じ人が喋っているように聞こえるんですよね!

話の流れで、さっきはaさんで今はbさんが話してるんだなと区別してました。

 

何度も聖徳太子になりたいと思いましたね😅

 

 

 まあこればかりは慣れていくしかないのですが、理解してくださる人たちとの集まりの場合は、話す時に相手の方に先に名前を名のっていただいてたりします🙇‍♀️

 

 視覚障害者の世界ではあるあるの内容かと思うのですが、もしみなさんが日常の中で視覚障害者と絡む事があるようでしたら、なんとなくこの記事の内容を思い出していただけると嬉しいです😸

 

 

ユナネコという名前でツイッターをやっており、そちらで視覚障害者の日常などもつぶやいていますので、もしよろしければご覧ください😽