ゆなねこ 1日1日を一歩ずつ生きていく #虐待サバイバー #全盲

しばらく離れていましたが、もう一度再開することにしました  28歳女性で、私は全盲+虐待サバイバーです👩‍🦯  2020年6月(私は母親の虐待で全盲になりました)をKindleにて出版いたしました。  Twitter (yuna89598142)でも毎日何かしらつぶやいています☺️ 視覚障害、精神障害(うつ病もあり)を抱えながらもなんとか毎日生きています。  日常の中で感じたこと、障害者として皆さんに知って欲しいことなどを不定期に綴って行きます🙇‍♀️  令和3年11月19日入籍予定💍💓  雌猫ちょこ

人生は山あり谷ありだけど、走り続けてみんなで幸せをつかもう💫

 

 

自分の生きてきた道のりをもとに詩を描いてみたのですが、メロディーが乗せられず… 😿

でもたくさんの人が夢を追いかけて幸せになってほしいと思って書いたものです☺️

 

 

またあの季節がやってきた
顔に当たる風はまだ冷たくて
花の蕾が一生懸命顔を出そうとしている
古びた後者 きしむベランダ
試験勉強に追われ徹夜する毎日
家族との決別
合格ラインのない未来に不安だらけだった17歳
怒っていた先生の声も今は懐かしい
先のわからない現実に猫のように丸まって泣いていたあの頃の自分も

あれから9年私は生きている
夢を目の前に走ってる
転んで傷ついて立ち上がれなくって
たくさんの人を敵に回して
たくさんの人を傷つけてきた
ゴールが欲しいと思っていた毎日
でも違うんだ
いつでも人生はスタートライン
ゴールテープは自分で切るしかないんだ
走って走って
どうしようもなくしんどくなったら立ち止まればいい
どんなに苦しくても自分は1人じゃない!
背中を押してくれる人はたくさんいる
泥まみれの猫になったっていい
最後に笑顔でゴールテープを切りたいから

毎年どこかもの悲しくて、期待と不安を感じるこの季節
つぼみはまだ寒さに身を縮めている
あの頃の自分は真っ暗な未来にただただ立ちすくんでいた
ラジオから流れるサイレン音と避難指示
津波に襲われ生きることを奪われた人々
悲しみに打ちのめされても立ち上がった人々
体温のある人形と化してた17歳
行く人もの命が消されたあの年 私は命を救われた

あれから9年 自分の足で生きている
長いトンネルを抜けだそうともがいてる
たくさんの冷たさを知って たくさんの優しさを知った
いつでも物事は紙一重
幸せになりたいと願っても雪のようには降ってこない
描きたい未来の答えは自分で掴むしかないんだ
走って 走り続けて
どうしても心が折れそうになったら手を伸ばせばいい
あの頃とはもう違う
私には信じられる人たちがいる
大丈夫 その木に飛び乗るんだ
傷だらけの猫でもいい
最後にみんなと笑い会いたいから


今私は走ってる
平凡な毎日 当たり前のことじゃない
太陽の光、鳥の鳴き声、花の匂い、愛する者の体温
すべての巡り合わせは奇跡なんだ
さぁまだまだスタートライン
この大きな空の下
みんなが幸せになれますように

私が生きようと思った理由

 私は一昨年自叙伝を出版するまで「いつ死んでもいい。 むしろなんで生きなきゃいけないんだろう」

と思ってきました

 

 そんな私がなぜ生きてみようと思えたのか…

それについて今日は書いてみたいと思います

 

 

 2011年3月

世の中は(東日本大震災)が起こり悲しみと苦しさに包まれていました

それでもその現状を乗り越えるために必死に生きようとしている人たちもたくさんいました

 

 

 その当時両親からの虐待がエスカレートし、生きることに絶望しか感じていなかった私は、

「私もこの震災で殺して欲しかったな」と大変不謹慎な事を考えていました

 

 

しかしこの月の終わり、私は教師、警察、児相の働きによって地獄のような日々から助けられたんです

 

 

 けれど後ろ盾してくれる家族はいない

 目も見えない…

 

 むしろ助けられた事の方が苦しいと思う時期が続き、何度も自殺未遂を繰り返してきました

 

 

 完全に人間不信に陥っていた私は、誰の言葉も優しさも受け入れる事が出来ず、どんどん危険な方向へ進んでいました

 

それでも周囲の人たちはわたしをなんとか生かそうとしてくれました

 

 まさしく(生かされている)という状態でしたね

 

 

 そんな日々が何年も続き、それでも日常はどんどん変化していくため、流されるように勉強をし、就職をし、恋人と呼べる存在もできたりと私自身も少しずつ変化していきました

 

 

 しかし「何で生きなきゃいけないんだろう」

という根本的な気持ちはずっと胸の中にあったんです

 

 

 まあ実際(自分が生きている意味)なんてそんなに真剣に考えている人の方が少ないのかもしれませんね😅

 

 

 話は少しずれますが、何人もの方に

「生きる原動力ってなんですか?」

と質問された事があります

 

一言で言えば

「親、家族を見返してやりたい」

これに尽きると思います

 

 

 いっ時はお金を借りてでもいいからあの人たちを殺して自分も人生を終わらせようと考えていた時期もありました

 今振り返ると私かなり怖い人間ですよね💧

 

 

 前置きが長くなってしまいましたが、そんな私が

「生きてみよう」

と思えた理由は大きく分けて二つありました!

 

 

 一つは藍猫の存在です

 

初めてどんな事があっても私が守りたいと思えた存在

 

 どんな時でもそばにいてくれて、私を信じて受け入れてくれた

 

 いまだにそうなのですが、よっぽどのことがなければ基本的に私が泣く事ってないんです

 というか泣き方がわからない…

苦しくても人前で泣く事を無意識にセーブしてしまいます

 

 でも猫と一緒の時だけは「素の私」でいることができます

 

 おそらくこの子は私の涙を誰よりもみてきたコトでしょう🙇‍♀️

 

そんな彼女と私はどんな事があっても一緒にいたいと強く思っています😹

 

 

 二つ目は「経験を世の中に残していく事が私の使命」かなと思ったからです

 

大げさなと思う方もいるかもしれません

 

 でも虐待だけに限らず、いじめも病気も倒産…

当事者にしか語れない事が絶対あります

 

 

もちろん受け止め方は人それぞれですので、否定的な事を言う方も実際います

 

 

 社会人になってから、親と数回ほど会いました

 

でもあの人は自分がしてきた虐待を

「覚えてない」

で片付けようとしました

 

 本を出版すると言う事は、あの人たちへの復讐という意味も少しは含まれています

 

 だって1番の主犯者が虐待を無かったことにしてしまったら、私はどこに思いをぶつければいいんですか?

 

 その言葉をきっかけに、私はこの事実を世の中に残そうと決めました

 

 一言で(虐待)といっても、ケースや背景は様々でしょう

 

 でも私の言葉や文字を通して前を向ける人、子育ての苦悩から抜け出せるひとがいてくれたら私の経験も無駄ではないのかなと感じます

 

 

 長くなってしまいましたが

〜生きる意味〜

この事で悩まれる人も実際はいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 必ずしも生き続ければいい事があるとは言えませんし、無理にその意味を見つけなくてもいいのかなと思います

 

 

 けれどこの記事を通して感じていただけるものがあればありがたいなと思います

 

 

 分かりにくい文章もあるかと思いますが、私なりに発信し続けていきたいと思いますのでよろしくお願いします😸

援助交際=金銭欲ではない

  今日は(援助交際)について実体験をもとに書きたいと思います

 

 

 世の中の多くの人は、「援助交際」は若い女の子が体を売って簡単にお金をかせぐ手段と思っています

 

 

私は目が見えませんが、専門学生の時援助交際でお小遣いを稼いでいた時期がありました

 

もちろんそのビジネスが好きなわけではありません

 

 だって好きでもない男性と裸で交わるのですから…

 

 

私は全く視力がないため、その当時アルバイトをする手段がありませんでした

 

でもお金は生活費と国家試験のための貯金でほとんど終わってしまい全く余裕がなかったんです

 

 

しかし目の見えない女の子に現実はそんなに甘くなく、まともにお金を払ってくれる人は少なかったです

 

 もちろん周囲の人間には隠しながらこのビジネスをしていました

 

 

写メも見れない

迎えにくる車のナンバー、実際の容姿も一切わかりません

 

 それがどれだけ危険なことかは自分なりに理解していました

 

 

 タイトルにも書きましたが援助交際をする=お金を得る手段のためだけとは限らないと私は経験上思います

 

 もちろんその理由だけでやっている女の子もいると思います

 

 お金以外の理由があるのか?と疑問に思われる方もいる事でしょう

 

 

 その当時の私は、ひどい虐待から逃れられたものの、完全に心を閉ざし人を全く信じようとしなかったです

 

 しかし自分の心の中にはいつも孤独感と空虚感、寂しさが渦巻いてました

 

お金のために始めた援助交際でしたが、いつしか私の中で〜居場所〜になって行きました

 

恐怖心なんて全くなかったです

 

 私にとって自分の親以上に怖いものなんて今もないと思っています

 

 よくわからないその時限りの男性との時間が唯一何も考えず無の自分で居られました

 

 そして内容は最悪でもその時その男性は私を必要としてくれる…

 

その事実が自分の存在意義を感じさせてくれたんです

 

 

「そんなのおかしい」と思う人もいるでしょう

 

 でも親であったり、家庭や学校で(自分でいられる時間)がない、自分を尊重してもらえない…

 

私も含め彼女たちにとって援助交際の場を居場所にしている子は実際多いのではないかなと感じます

 

 実際それがバレて警察や児相、親に保護されるケースはあるわけですが頭ごなしにその行為を責めないであげてください

 

 結局自分を傷つけることでしか寂しさや苦しさ、苛立ちを表現できない子達もいるんです

 

 

 ※あくまで私の経験上での考えにはなりますがこのような考え方もあるという事を少し知っていただけるとありがたいです

 

 

 もしお子さんや生徒さん、彼女さんが援助交際をしてたと発覚したとしても否定や責めから入るのではなく、そこに至る気持ちをまずは聞いてあげてください

 

 

 この記事を書こうか迷ったのですが、参考にしていただけると幸いです

リストカット、ODを繰り返してしまう心理とは

  今日はいわゆる(自傷行為)について私の実体験をもとに書いて見たいと思います

 

 リストカット、オーバードラッグという言葉を知っている方は多いかと思います

 しかしその行為をするという事は通常の心理状態では無いと思います

 

 

私は昨年までかれこれ九年間リスカ、ODを繰り返してきました

それによって入院をしたこともあります

 

 

でもこれだけを聞くと大抵の人は

「自分を傷つけるなんてダメだよ」

「なんでそんな事するの?」

と否定や攻めから入る方、もしくは哀れみの言葉をかけてくる方が多いです

 

 

でも、なぜそのような行為に至ったのか

どんな気持ちでしてしまったのか

そこを一緒に考えてくれる人は少ないです

 

 

自分のいし表示や感情表表現って必ずしも口に出して言えるとは限りません

 

私は半年前まで自分の思いを言葉にするのがすごく苦手でした

 

 

 幼少期に虐待を受けていたトラウマもあり、

どこまで言葉にして良いのか

これを喋ったら相手に嫌われるのでは無いか

私が我慢すれば丸く収まるのではないか…

そんなことばかり考えいつも溜め込んでしまう事が多かったんです

 

 また両親は私の意見や感情はいつも無視でしたし、威圧的且つ言葉の暴力が多かったため必然的に自分の感情は押し殺すようになり、いつしか自分の感情がわからないことが多くなりました

 

 

こう二で家族の元から逃げることができましたが、ずっと感情を押さえつけられてきた私にとってはそこからの方が苦しい事が続きました

 

 感情表現の仕方がわからない

(わかりました) (はい)ばっか「苦笑」

 

 

苦しい

悲しい

さみしい

 

思いはあってもどう表現していいかわからない

 

 

結果的に私はリスカ、ODにたどり着きその行為によって感情を押さえつけ、時にはSOSのサインとして用いるようになりました

 

 

「もう大人なんだからちゃんと話せ」

「単純に甘えてるだけだろ」

こう言われたことも何度もありました

 

 

恋人と喧嘩になりそうになると口論が苦手な私はいつも黙ってしまう

 頑張ってメールの文章にして、目の前にいる彼に読んでもらうという方法をとっていた時もありますね💧

当然ながら面倒臭いと言われましたが…😅

 

 

でもどんなに努力しても言葉にできない人もいるんです

 

虐待、いじめなど幼少期に辛い環境に置かれていた人は尚更そうかもしれません

 

 

そういう状況になったことがない方からすれば理解に苦しむのだと思います

 

でも否定から入らないでください!

 

全てを受け入れなくてもいい

んです

 

でも私のようにこのような手段でしか感情表現ができない人がいるという事を知って欲しいんです

 

 

ほんの少しでいいから寄り添って解決策を一緒に考えてください

 

 

 

私が結果的に自傷行為から抜けられたのは、過去の事実も今の現状も受け止め、自己肯定感をあげてくれた友達の存在があったからです

 

 

 表面的には分からなくても、様々な苦しさを抱えている人はたくさんいるんです

 

 

コミュニケーションを取る手段も様々です

 

 

あくまでこの記事は私の実体験をもとに書いていますので、理由や考え方は違う人もいると思います

 

 ちょっとした参考にしていただけると嬉しいです😸

_統合失調症_の友達にわたしはどんな対応をすればよかったのか?

今日の記事を読んでくださる方がいましたらぜひアドバイスを頂きたくてこの記事を書きます

 

 

 わたしには統合失調症を抱えた友達がいます。

 

幼少期の境遇が似ていたという事もあり意気投合しました。

 

 先日彼女からバイトをしたいと相談を受けました。

 

 しかしこれまで働いた事はありません。

 

対人関係や人ごみが苦手なため、あまり人と関わらずに済む仕事を考えてみました。

 

 しかしそれ以前に仕事をされている方はわかると思いますが、働いてお金を得るというのはそんなに甘くはありません。

 

 わたしが固く考えすぎなのかもしれませんが、体調が悪いからと行って急に休んだり、業務を放棄なんてできませんし、それが続いたらクビになるでしょう。

 

   やはり病気の関係上体調や精神面に浮き沈みがあるのは事実ですし、無理して始めたところで彼女にとってはすごくストレスになるのではないかと考えました。

 

 _まずは気楽に何か一つ継続する事_から体やメンタルを慣らしていってはどうかとわたしは提案してみました

 

 ちょうど自分自身がツイッターをまいな日更新していたという事もあり、どんなツイートでもいいから1日一つは更新しようと目標を立て2週間ほどは彼女も前向きに頑張っていたんです。

 

 

 しかし3日ほど前

ツイッターもブログも全部辞めた」

と連絡がありました💧

 

 

 ご両親とのことが原因で沈んでしまい、何もやる気が起きなくなってしまったようです。

 

 

 続かなかったことにどうのこうの言う気は全くありません。

 むしろ想定内の結果です。

 

 

 しかしわたしが提案したツイッターを毎日更新するという作業も彼女にとっては負担だったのではないかと自分の中でもやもやとした気持ちが残ってます。

 

 

 わたしはどんな対応、言葉をかければよかったのでしょうか?

 

 

 もちろんどれが正解というわけでもないのでしょうけど・・・💧

「虐待」をもっと子供目線で向き合って!

何度か触れてきましたがわたしは幼少期にひどい虐待を受けながら育ちました

 

私の略歴としては

 

:未熟児で生まれ、3歳ごろに目の病気が判明(後に増殖性硝子体網膜症)と診断される

 

:5歳で病気と父親から母親へのdvが理由で虚弱児リハビリ施設「現在は養護学校」に預けられ1年実家を離れる

 

:鮮明な記憶としては小学2年性から母親からの虐待が始まる

 

:病気の進行により、小学6年性で左目の視力を失う

 

:中学に入学し数日後に母親から骨折させられ通学不可になる

 

:中学1年から3年までいじめにあい、担任は見て見ぬ振り・・・

 

:中学3年の9月1日  母親の暴力により右目の視力も失い全盲となる

 

:一般高校への入試が困難となり高校から盲学校へ入学→虐待がエスカレートする

 

:高校2年の3月10日我慢の限界が訪れ担任に虐待の事実を伝え少しずつ状況が変化していく

 

:3月25日→児相職員と面談→一度自宅へ返される

 

:3月26日→児相から連絡を受けていた交番の警察官が県警に連絡し自宅に来訪

 

:系自室で聞き取り調査を受け、結果児童相談所に保護される

 

:高校3年5月→里親制度により休日のみ預かっていただくことに・・・

 

:19歳で自殺未遂(男性関係のトラブルによる)

 

:20歳で住民票を移しひとり自立を目指し動き出す

 

:3療の国家資格を取得するため勉強しながらお金を得るため援助交際、テレクラのさくら、デリヘルを転々とする

 

:21歳で社会人になり本業をしながら、夜はスナックでホステスとして働く!

 

:虐待のフラッシュバックやptsdにより浮き沈みが激しくリストカット、ODを繰り返しんながらも生き延びた

 

:2018年10月に虐待を受けた当事者として、また視覚障害者としてリアルな現状を残したく__消された光  見えてきた光_というタイトルで自叙伝を出版

 

:2018年12月→けじめをつけるため親に絶縁宣言をする

 

 

 

 

 大まかにわたしのこれまでの略歴を書かせていただきましたがまだまだほんの一部です

 

 

自分自身が世の中で一番不幸なのではないかと思っていた時期もあります

 

この過去や現状に対し同情してほしいわけではありません

 

今は(虐待)という言葉はよく耳にするようになったと思います

 

しかしわたしは田舎だったというせいもありますが、視覚障害や父親、姉の家庭内暴力がクローズアップされてしまい(虐待)に目を向けてくれる大人は一人もいませんでした

 

今は毎日のように虐待のニュースが飛び交っていますが正直なところ当事者から見ると疑問が残る点も多いです

 

記事もミューすも大人が報道するわけですから偏ってしまうのも仕方がないのかもしれませんが、もっと子供の心を考えてください

 

親は子供にとって絶対的な存在であり、初めて信じた大人であり、愛を教えてくれる大人なんです

 

その大人に裏切られ、傷つけられるということはどれだけショックで、悲しいことだか分かりますか?

 

それによって子供は心を閉ざしてしまい、人の顔色ばかり伺い、空気を読み、誰を信じていいのかわからなくなってしまうんです

 

それがどんなに重い罪か分かりますか?

 

虐待で子供を死なせてしまったということは立派な殺人事件です!

 

:精神鑑定?

責任能力

 

笑わせないでください

 

それで罪が軽くなったら虐待で亡くなった子供、被害を受けてきた人たちはどうするんですか?

 

虐待は保護されたから、逮捕されたからで終わるほど甘くないです

 

亡くなってしまった子供さんが戻ってくることは一生ありません

 

どんなに償いたいと加害者が言っても何も変わらないんです

 

 

また虐待から救われた人たちはその事実だけで「よかったじゃない」と言われがちですがその言葉はすごく残酷で被害者を苦しめる言葉だとわたしは感じます

 

私も含め(虐待サバイバー)はずっと虐待のトラウマを背負い、フラッシュバックに苦しみ、ぶつけようのない思いを抱え続けているんです

 

今も傷を抱えながらも周りに気づかれないように過去を隠しながら必死で明るくしている人もいるかもしれません

 

だからといって虐待を受けてきた人に気を使えと言っているわけではありません

 

でももしそのような過去を打ち明けようとした人がいたらただ聞いてあげてください

 

答えが出なくとも、聞いて受け止めてくれる人がいるだけで心は救われます☺️

 

私が両親や家族を許せる時はおそらく一生ありません

だって幼少期の人生を奪われ、暴力がなければまだ見えてたかもしれないのですから・・・

 

しかし憎しみ続けること、復讐のためだけに生きるというのもすごくエネルギーがいることです

 

 人を信じれなかったわたしですが、結局たくさんの人たちの支えや励まし、愛情によって助けられました

 

どんなにあがいたって人は一人じゃ生きられないんです💧

 

 

  どうせ生かされた命ですから、わたしのような思いを子供達にはして欲しくないですし、今現在虐待の後遺症で苦しんでいる方々のちょっとした_光_になれたらいいなと思っています💫💕

 

 

 虐待は大きな社会問題です!

 

行政機関の皆さん

子育て中の親御さん

学校の先生方・・・

 

子供は大人を信じたいんです

 何気ない言葉、態度を子供は敏感に察知しています

 

感情や理屈ではなく、一歩立ち止まって_子供目線_で問題と向き合ってください

 

 この記事が少しでもお役に立てますと幸いです

 

 まだまだ拙い文章ではありますが、自分の経験をもとにブログを更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします🙇‍♀️🙎‍♀️

適応障害は立派な病気

今日は「適応障害」について私の実体験をもとに書いてみたいと思います

 

 

 

この病気は認知度も低く、なかなか周囲の方に理解してもらいにくい病気だと感じます

 

 

私はこの診断名がついてかれこれ9年が経ちます

 

おそらく一般的には3ヶ月から6ヶ月程度で症状が回復すると言われています

 

 

でもこの診断名を必ずしも変えなければいけないわけでは無いようで、私の場合「うつ病」や精神障害認定をされるほど重い状態ではありません

 

 

 

しかし適応障害は症状の浮き沈みがあったり、状態が良い時はいたって普通なんです

 

 

 

 

「なんで心療内科に通っているのか?   なんでカウンセリングを受ける必要があるのか?」

 

このような質問を職場の先輩、上司、知人から何度かされたことがあります

 

 

もともと心療内科に通うきっかけは、私の場合両親から虐待を受け、警察と児童相談所に保護されたことでした

 

 

 

人が信じられず、自分の障害や家庭環境に絶望しか感じず、現実逃避ばかりを考えていた私は精神的にかなりこの時期荒れていたんです

 

そのため表面的には明るくしているのですが、精神的には人間関係に疲れてしまったり、ギリギリまでため込んで衝動的に自傷行為に走る事が続きました

 

 

また社会人になって就職をしましたが、なかなか人間関係がうまくいかず転職をしたり、ここ最近ですと休職を取るまでに至りました

 

 

 

自分ではもっとがんばらなきゃ、このくらいで仕事を休んじゃっいけない…

 

そう思い、何とか週末のリフレッシュ方法を考えたり、職場の先輩との関係を立て直さなきゃと考えて半年ほど我慢し続けてい

ました

 

 

 

でも今振り返ると限界のサインはいくつか出ていたのかなと感じます

 

 

毎日頭痛がする、なかなか眠れない、朝起きてもリストカットをしたり、タバコを吸わないと出勤ができない… 

 

 

26歳にもなってお恥ずかしいことに休職を取る2週間前、精神的に追い詰められギリギリの状態だった私は朝礼の際泣き出してしまったんです

 

 

それでも休職をとること、会社を辞めると言う決断ができず、また会社側の対応はエスカレートし入院をしてしまい、そこまで来てようやく休職を取りました

 

 

適応障害」はわがままと取られたり、甘えてる、逃げてると言われることも多いです

 

 

 

でも周りがなんと言おうと立派な病気なんです

 

 

 

自尊心を傷つけられてまで同じ職場で我慢しても結局自分には何のメリットもありません

 

 

 

 

必ず心の不調は事前にサインが出ているはずです

 

それを見過ごしながら無理をし過ぎた結果命に関わる状態まで陥ってしまったら元も子もないです

 

 

 

世の中はそんなに優しくありません

 

 

自分が仕事を辞めたら、この場から逃げたら、周りに迷惑がかかるのではないか…

 

 

私自身思っていました

 

 

 

 

 

でもそれほど周囲の人間は人1人に関心はありません

 

 

 

 

今もし適応障害と診断されている方は、時々は自分の心を優先してあげて下さい

 

また現代はストレス社会ですし、病名がついていなくともカウンセリングに通っている方はたくさんいます

 

カウンセリングを受けて良いと思えるか思えないかはその人それぞれの性格によると思いますが、気持ちの逃げ道を作っておく事は大切かなと感じます

 

長々と書いてしまいましたが、ちょっとした参考にしてもらえるとうれしいです☺️